腐女子が二次創作について語るブログ

二次創作に関する愚痴とかお悩み相談とか小説の書き方のついて書いています。

毎日4〜5枚の絵をUPする神絵師に私なら嫉妬する

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私のジャンルに「神」がいます
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 初めに言っておきますが、これは私の感じ方が正しいとか誰かがまちがっているとか主張するための文章ではありません。
 ただ、私のような者もいるというだけの話です。

 いま話題になってる、マイナーCP界隈に突如現れた神絵師が毎日4〜5枚の神絵をアップしてウザがられたという例のお話。
 ツイッターでは「そんな神絵師さんがいたらうれしい」「うらやましい」「自カプに来てほしい」という意見がたくさん流れてきて、見れば大量の「いいね!」がついている。
 中には「そういう同調圧力がいけない」「見たくなければミュートすればいいのに」「義理でいいねを押す必要ない」っていう意見もあったけど、大半の人は「筆の速い神絵師いいな〜」って思っているような印象を受けた。

 でもさーでもさー、それって、ほとんどが読み手(見る側)としての気持ちだよね。
 もちろん、オタクは自分で創作している人ばかりじゃないし、創作してる人でも他の人の作品を見たり読んだりすることを楽しみにしているよね。それはわかる。私も、自分で二次創作をしつつ他の人の二次創作も楽しませてもらっている。
 読み手としては、毎日新規絵をアップしてくれる神絵師さんがいたらうれしい。よくわかります。
 だけど、描き手(書き手)としての気持ちは?

 今回の件、元のツイート(ツイ主さんがマシュマロで相談された内容とそれに対するツイ主さんの答え)を読んだときにまず私が思ったのは「これは嫉妬だな、わかる」でした。
 つまり、相談者さんの気持ちの方に共感してしまったのだ(もしかしたら私の見当違いで嫉妬じゃないのかもしれないが)。
 ただし、その感情が良いものだとは思っていないし、嫉妬は個人の心の内にだけ留まらせておくべきで、相手にぶつけることはもちろん、仲間内で共有するべきでもないと思っている。だから、相談を受けたツイ主さんの回答には私も同意だ。
 毎日神絵が投稿されるからウンザリする。ウンザリする理由は解釈違いが蔓延して嫌だからなのか、義理でいいね!をつけなきゃいけないのが面倒だからなのか、いろいろあるだろうけど結局のところ嫉妬なんじゃないかと私は推測してるんだよね。そのマシュマロには書いてなかったけど。そうだとしても本人は認めたくないのかもしれないけど。
 だって、その界隈には他に毎日新規絵を同じくらいの数描ける人はいなかったわけでしょう。絵の上手い下手を抜きにしたって、単純に筆の速さだけでも嫉妬の対象にはなるわな。
 今回この件を見た人の多くが「自分ならうれしい」「うらやましい」とつぶやいたのは、絵を見る側の気持ちとしては当然なんだよね。でもさ、自分が描く側だったら?
 もちろん、自分で絵を描いてる人でも他者に嫉妬しないタイプの人もいるだろう。
 でも私なら嫉妬する。実際に似たような状況になって嫉妬したことあるよ。
 私の場合、絵ではなくて小説を書いているのだけど。

 そのときは、同CP好きな字書き同士数人でツイッターで仲良くなって、お互いの作品を読み合って感想を伝え合ったりして、とても楽しい交流ができていた。
 でもそこに、あるとき物凄く筆が速く文章も上手く面白い話を書く字書きさんが仲間入りした。
 みんなその人の大ファンになったよ。私も大ファンだった。その人の書く小説が大好きだった。
 でも、だんだんつらくなってきてしまったんだ。
 自分が一生懸命作品を書いて投稿しても、同時期に『その人』が新作を上げたらみんなが一斉にその人の作品を褒めだして、自分の作品には見向きもされなくなる。常にTLが『その人』への賛辞で溢れてる。見せつけられる圧倒的な力の差。筆の速さも
文章力も、話の面白さも、何ひとつ自分には敵うところがない。
 それまではそんなに力量に差のない(と私には思えた)仲間同士で切磋琢磨しつつ楽しんで創作していられたのに、歴然とした差を見せつけられてしまったら、もうダメだった。
 読み手として『その人』の作品を楽しみにする気持ちもあったからこそ、『見ないようにする』ことはできなかった。
 私は昔から人より負けず嫌いで嫉妬深い性格だ。だから、こういうことでここまで苦しい思いをするのが他の人にとっても普通だとは思っていない。
 嫉妬は醜いと思うし、嫉妬するのは自分の心に問題があるせいで、『その人』は何も悪くない。だからもちろん私は『その人』を叩いたり嫌がらせや攻撃したいとは一切思わなかったし、嫌いになったわけでもなかった。表面上は仲良く振る舞っていたし、この気持ちを表に出すことは一切なかった。
 『その人』に書くのを辞めてほしいとも思わなかったし、そのコミュニティから去ってほしいとも思わなかった。むしろ、苦しいのなら去るべきなのは自分の方だと思っていた。 
 だから、今回の例のマシュマロ主さんもたとえウンザリしていてもその気持ちを界隈の誰かに話したりしちゃダメだと思うし、その界隈の人たちも陰口を言ったり嫌がらせとか直接攻撃とかしちゃダメだと思う。当たり前だけど。貴方たちが「ウンザリする」のは貴方たち自身の心の問題なのだから。『嫌なら見るな』ができなければただその場で耐え抜くか、自分がそこから去るしかないんだよ。
 筆の速い神絵師は何も悪くない。供給に飢えている人々にありがたがられるのも当然。
 私は、自分が神になりたい人間だから、神に嫉妬してしまうんだよね。
 こういうこと言ってる人をあまり見かけないのでこのたびこうしてブログに書いてみた。界隈に神絵師が登場するって、嬉しい反面、こういう気持ちになる人もいるんだよ、ってことで。だからといって神絵師が悪いわけではないので、神絵師の皆さんはお気になさらずどんどん絵を描いてください。

二次創作での字書きの不遇は自己責任ではない


 とある字書きさんが、ツイッターで話題になっていた「小説同人誌は読まれにくい」問題に対して「読まれないのはその作品がその程度ってことじゃない?」と(もうちょっと遠回しにだが)発言しているのを見てものすごく腹が立ってしまった。彼女がとても才能と実力と運に恵まれている字書きだからこそ腹立たしくて仕方がない。

 彼女はたぶんマイナーCP界隈で活動したことがないから知らないのだ。それに彼女はとても努力家だがその努力が実を結んでいるから、すべての努力が実るとは限らないなどということを想像もできないのだろう。生まれ持った才能の差の前には努力に限界があることも、そもそも努力できること自体が才能だということも。
 努力できる環境、そして努力が報われる環境に自分がいることも運だと思う。人それぞれ事情や状況が違う。血がにじむような努力をしても実らない人だって世の中にはいるのに。

 彼女はそんなことを想像もしないで(想像できてなお言っているのだとしたら相当意地が悪いが)「作品が読まれないのは作者の努力や工夫が足りない、自己責任」と断じた。

 その発言に私が憤っているのはもしかしたら単なる嫉妬なのかもしれない。だけどそれだけじゃない。自分のことだけじゃない、私は自分よりも遥かに文章が上手くて萌えられる、レベルの高い小説作品が相応の評価を受けていないのを何度も見てきているからだ。
 それらの作品を書いている人たちは私が見る限りちっとも努力不足なんかじゃない(大抵が執筆歴が長くベテランの粋だし読書量も多く活字中毒、毎日小説を書いていないと気がすまない、問題意識や自作を客観視する目もちゃんと持っている)し、第一、あげられている作品がちっとも「その程度」じゃない。

 本当に、読まれない理由があるとしたらそれは「マイナーCPの」「小説であること」という2点だけなのだ。
 漫画やイラストならマイナーCPでもそこそこ見てもらえる。小説でも今が旬のジャンルの人気CPならそれなりに見てもらえる。
 だがこの2点が不運にも重なってしまったがために、どんな良作を書いても読んでもらえない、評価してもらえない人たちがいる。これはそのマイナーCPを好きになってしまった字書きの自己責任なのだろうか?
 嫌なら推しCPを変えろと?
 いや、そう言われるならまだ話はわかる。マイナーCP推しの字書きはそんなことはわかっていて、それでも推しCPを書き続けたいのだ。
 話を元に戻すと、私が腹立たしく思った字書きの彼女は「読まれないのはその程度の作品だから」と言った。マイナーCPの読者の母数など考えもせず、作品自体を貶めた。
 私にはそれが許せなかった。
 確かに、ピクシブにも同人誌にも小説初心者が書いたものや本当にレベルが低いものも含まれる(商業誌と違って誰でも自分一人の判断で公開できる世界なのだから、あって当然だ)。
 でも、それだけじゃない。中にはプロの小説家に劣らぬレベルの文章力、表現力、構成力を持ち、そのCP特有の萌えポイントを的確に抑えて描く力もある字書きさんだっている。そんな字書きさんの素晴らしい作品がピクシブでブクマ数1桁だったり、即売会で同人誌が1桁しか売れなかったりしている。この現象を「その程度の作品だから」と言われることが許せない。
 もしかしたらご本人は「自分の実力がその程度だから」と思っているのかもしれない。そんなことはないのに。
 字書きにとってピクシブの閲覧数やブクマ数、いいね数、小説同人誌を手に取る人の数や売上部数は、必ずしもその作品自体の評価ではない。もし人気がなくても売れなくても、それはその小説のレベルが低いからとは限らない。
 そのCPの人気と、二次創作読者の中での小説を読む人の少なさ。この2つが「読まれない」理由のほとんどなのだから。
(あともう一点、二次創作の小説は「R-18作品しか読まない」タイプの読者が多いという問題もあるが、これはまた別の問題だ)

 そもそも、二次創作小説は「漫画やイラストと比較して」見てもらえない、という話をしているのになぜ「作品がその程度だから」「実力不足、努力不足を他人のせいにするな」という話になるのか不思議だ。漫画やイラストは実力や努力が足りなくても「小説よりは」見てもらえるのに。

 確かに、ピクシブで見ていると漫画やイラストより見てもらいにくい小説作品の中でも群を抜いてブクマ数が多い作品もある。それがもしR-18作品じゃないとしたら本当に実力と魅力のある作品なのだということはわかる。
 だが、そういった「他に比べてブクマ数の多い作品」以外にも良作はある。CP名で検索すればちゃんと検索結果一覧に表示される。そこに存在しているのに、読まれないから良さもわかってもらえない。

 マイナーCPの小説なのに「他と比べてブクマ数が多い作品」には、そうなった理由がある。
 実はこれも「運」によるものが大きいと、私は思っている。作品自体の魅力や文章レベル、作者の実力だけではどうしようもないものなのだ。
 自分がもし読み手の立場で推しCPの小説作品をピクシブで読むとしたら、まずどんな作品から読み始めるか、考えてみてほしい。ただし読む時間には限りがあるものとする。古い順や新しい順に全部読むという方法ではなく、何点かに絞って読むとしたら、あなたはどんな作品を選ぶだろうか。
 もちろん作風やシチュエーションなどの好みはあるだろう。だがそれがもしわからない場合、まずは人気がありそうなものから見てみよう、とならないだろうか。あなたがもしそうじゃないとしても、聞いた話によれば実際にブクマ数で「人気作品」を選んで読む人は多いらしい。
 マイナーCPの小説で他と比較して読まれやすいものは、R-18以外だと「興味を引くタイトルやキャプション」「万人受けするシチュエーション」という特徴の他に、「ブクマ数が多い」「元々その作者が好き」という理由で選ぶ人が多いそうだ。
 前にあげた2点は作者が工夫すればどうにかなりそうだが、後の2点は作者が「少なくとも一作は人気作品を作る」「常連読者(リピーター)を増やす」という、創意工夫だけではどうにもならない難しさがある。
 「実力だけでは読者が増えない」世界なのに、「一作は人気作品を作りリピーターを増やす」ことがどれほど困難であるか。
 素晴らしい作品を書けば自ずと読者が増える業界ではないことは、この文章の最初からずっと言っている。では、常連読者がいる字書きはどうしてそうなれたのか。
 それは、運が良かったからだ。「偶然」メジャーCPを好きになっただけ。あるいはそのCPを好きな人の中に「偶然」二次創作小説を読むのが好きな人の数が多かった。
 もしくは、「偶然」フォロワーが多く拡散力がある人物がその人の作品を読んで気に入り、作品を紹介してくれた。
 または、「偶然」作者本人やそのフォロワーのコミュ力や拡散力、宣伝能力等が高く、ピクシブで自ら検索しないタイプの読者にも作品の存在が知れ渡った。
 それだけだ。すべて「偶然」なのである。どんなに素晴らしい作品でも、それを拡めてくれる人がいないと読者は増えない。そしてそれは作者一人の宣伝力だけでは限界があるし、そもそも宣伝力は小説を書く能力とは別のものだ。
 それともう一点。小説作品はイラストや漫画と比べて読むのに時間がかかる。読み始めるのにも時間がかかる。今は忙しいから、後日まとまった時間ができたときに読もう、と考える人が非常に多い。
 だから、ピクシブのブクマやいいねが増えるのにも日数がかかる。ブクマが多くつくものは徐々に伸びていって、落ち着くまでに数ヶ月から半年はかかる。
 つまり、少なくとも一作はブクマ数の多い代表作を作り、「この作者が書いたなら他の作品も面白いだろう」という理由で見てもらえるようになるまでには、数ヶ月から半年かかるのである。
 一次創作ならそのぐらい時間をかけても良いだろう。だが、二次創作は原作(公式)の人気に左右されるものだ。その半年を耐える間に原作の連載や放送が終了し、人気が旬を過ぎてしまう恐れがある。
 原作の人気がまだ旬の時期に自分の二次創作作品の人気のピークが間に合うかどうかも、運なのだ。
 だから、ピクシブでブクマ数が少ない作品を「その程度の作品」とは必ずしも言えないのである。

 ここではピクシブでの話をしたが、同人誌でも人気作家になる秘訣は「常連読者を作る」ことだと聞いている。ここでも日数がかかるのは同じだが、同人誌の場合、イベントに合わせると発行頻度がネット作品よりも少なくなってしまうのでもっと大変だと思う。

 もちろん、人気が出ない、読んでもらえない理由をすべて他者に押し付けるのは良くない。だが、どんな字書きだって人気がなければまずは己の問題点を省みるはずだし、もっと上手くなりたいと望んでいるはずだ。まず初心者なら最初は読んでもらえないのは仕方ないと思うだろう。
 だが、多くの字書きは長い年月をかけていろいろ考えたり工夫し努力した挙げ句に、努力や工夫ではどうにもならない壁にぶち当たるのではないだろうか。
 「たまたま」「運良く」壁にぶち当たらなかった、あるいは壁を簡単に乗り越えられた人にはわからないのだろう。そんな運が良かっただけの、想像力の足りない人間に、努力が報われない環境にある人間の実力を過小評価され貶められたくはない。




おっさんずラブseason2についてのツイートまとめ








































感想職人がマイナージャンルの二次創作を支えている

二次創作の小説を書いている。
同じようにネットで二次小説を読んだり書いたりしている人ならご存知とは思うが、小説は絵や漫画と比べてTwitterやpixivでいいね(ブクマ)をもらえる数が極端に少ない。どんなに人気のある小説でも同ジャンル同CPの人気絵の10分の1ぐらいのいいねしかもらえていないのが現状だ。
そういう現状を理解していれば、字書きは自分の作品に一桁しかいいねがつかなくてもまあ仕方ない、50もらえれば上出来、と思えるものだ。
もちろん、読んでいいねを押してくれる人ひとりひとりにはものすごく感謝している。とてもありがたい。
だが、コメントやリプライやDMなどで感想をもらえたときの喜びはそれとは比べものにならないほどのものだ。

ある字書きさんが、こう言っていた。自分は大抵どのジャンルでもマイナーCPにハマってしまう。需要が少ないから作品を書いても数字での反応は少ない。だが大抵どのCPのときも自分には熱烈な読者さんがいて、毎回感想をくれた。だからマイナーでも淋しさを感じずやってこれた。
この字書きさんの気持ちはとてもよくわかる。

私は同人歴もpixiv歴もTwitter歴もそこそこ長い。これまで自分が見てきた中で、マイナーでも楽しそうに創作を続けている人はだいたいこのタイプだと思う。
いいね数がたとえ一桁でも、熱烈なファンがついている。そのファンから毎日のように称賛の言葉を浴びている。
ブクマやいいねが数百、数千とかついても感想の言葉をくれる人が一人もいないのと、どちらがいいんだろう。
同じ趣味嗜好の人と交流したいと思うタイプのオタクなら、たぶん前者を選ぶだろう。

熱烈な感想をくれるファンがいなくても、せめて同じ趣味を語り合える、そして毎回必ず自分の作品を読んでくれて感想を教えてくれる、できれば誉め上手な友人がいたらいいのに……と思うことがある。
同人でのいわゆる大手サークルの作家さんなどはこのタイプが多そうな気がする。
とにかく自分を必ず誉めてくれる人がいるということは、ものすごい自信に繋がるし、書き手の精神を安定させ、創作を続けていく支えになる。

言葉の力は偉大だ。数字だけでは伝わらないものも伝えてくれる。
1通の感想文には、いいねやブクマに換算すると10~数十ぐらいのパワーがある。
短くたっていい。感想1行につきいいねを1Oもらうぐらいのうれしさがある。
3行の感想ならいいね30に相当する。

感想を伝えたいけれど語彙がないと嘆く人がいるが、そういう気持ちも私はよくわかる。素晴らしい作品に出会うと感動のあまり言葉をなくすことがある。
そんなとき、せめていいねを1回じゃなく、10回……いや1OO回押せればいいのに!何故いいねは1回しか押せないのか?と思う。
そのまま相手に伝えればいい。
「いいね100回押したいです」それだけでいい。
それで気持ちは十分伝わるし、実際にいいね100個もらうのと同じぐらい、言われた相手もうれしいはずだ。
(ランキングとかにこだわる人はそうじゃないかもしれないが、少なくともマイナーCPで活動している書き手にとってはそうだと思う)

言葉で感想をもらえることがどれぐらい嬉しいことなのかというと、私の場合は「生きてて良かった」と思うぐらいうれしい。
これまでの人生の中で、いろいろなことがあって、死にたいとか、死んでしまおうかとか、自分には生きている価値がないとか、思ったことが何度かある。
わりと深刻だった時期もある。
そのときに、もし死んでしまっていたら、今の自分はいなかった。
あのとき思い止まったおかげで今がある。
自分の作品を喜んでくれる、誉めてくれる人がいる。こんな幸せな気持ちになれるなら、あのとき死なずに生きていて良かったと心底思う。
何の取り柄もない、生きている価値もないと思っていた自分にも、誰かを喜ばせることができる。少しでも誰かの役に立つことができるんだ。そう思える。
おおげさだと思われるかもしれない。でも、本当にそのぐらい嬉しいのだ。
感想の言葉は書き手の努力や才能を肯定するだけじゃない、時にはその人の人生をも肯定してくれる。

もちろん誉めるタイプの感想でなくても、共感したことを伝えるタイプの感想もとてもうれしい。
大抵のオタクは同じ趣味嗜好の同士と語り合いたい生き物なのだ。
もしあなたが誰かに感想を送り、相手が長めの返事を返してくれたなら、その人はその作品についてもっと語りたいのだと思う。
その作品のネタや萌えポイントについて語りたいから作品にしたのだといっても過言ではないかもしれない。
二次創作をやっている人の一次と違う点はそこなのだ。想像力のあるオタクは妄想をする。Twitterやブログに妄想を書き出すだけでは物足りなくなったオタクが二次創作をするのだと思う。
語りたいのだ。
「こういうの好きです」それだけでもいい。同じネタが好きな人がいるとわかるだけでもオタクはうれしいのだ。
そしてもちろん、忙しいかもしれないのにわざわざ言葉にして伝えてくれたその気持ちも有り難い。

とにかく感想はうれしい。いいねやブクマより絶対にうれしい。そして書き手のメンタルを支える力がある。
オタ友がいないタイプの孤独な字書きの心を支えているのは、感想を書いてくれる人々なのだ。
感想を書く人には、マイナーCPの二次創作を支え、繁栄させる力がある。
もしあなたが普段から誰かに感想を伝えているのなら、その人が創作を続けていられるのはもしかしたらあなたのおかげかもしれない。推しCPの作品が今日もまたひとつ増えたのは、あなたが書いた感想のおかげなのかもしれない。
二次創作は、相当メンタルが強くないと、原作に対する萌えや愛だけでは長く続けてはいけないのだ。







二次創作と嫉妬


先日、ある素晴らしい小説と出会って深く感銘を受けた。
その小説は私をとてもワクワクさせてくれた。読んでいる間はとても楽しく幸せな時間だった。
だが、読み終わってしばらくするとどっぷりと気持ちが落ち込んだ。

私は腐女子である。
好きな作品の二次創作小説を書いている。
前述で読んだ小説というのも二次創作の小説のことだ。つまり、腐女子である私は推しカプの小説を見つけて読んだ。素晴らしかった。それなのに今とてつもなく落ち込んでいるのである。
自分がいわゆる読み専ならこんなことにはならないはずだ。

私はメンタルが弱く自己肯定感が低く承認欲求が強い。
そして、負けず嫌いである。
これまで様々なジャンルを渡り歩いてきたが、だいたいどこに行っても自分より文章の上手い字書きが存在していた。
そういう人の優れた作品を目にするたびに、自分には敵わないと思い知らされ、ひどく落ち込んだ。
私は文章を読む目は肥えている方だと思っている。
だから自分の文章が上手くはないのもわかっている。
わかっているからといって、直せるわけではないのがつらい。
下手なのも、どこがまずいのかもわかるのに、どうすればよくなるかがわからない。
とにかく上手い文章を大量にインプットすればいいのではないかと考え図書館に通う日々だ。
もちろんアウトプットもしている。
某オタク向けSNSで何本も作品を公開している。
ありがたいことに、読んでくれる人はそこそこいるし、感想をくれる人もいる。
だが、しょせん二次創作。その人達は私が題材にしている推しカプを好きなだけで、私の文章や作風が好きなわけではない。違うジャンルやオリジナル作品を書いても彼らは読んではくれないのだ。だがこれは二次創作なら当然のことで、しかたがないと誰もが納得していることだと思う。
それでも、同じCPを好きな人たちが自分の作品を読んで共感してくれるのはとてもうれしい。
そもそも二次創作は絵ならファンアートとも言い、同じ原作を好きなファン同士が見せ合い共感し合う目的で描かれるものだと思う。
小説でも同じだ。自分の才能や技術を評価してもらうための手段ではない。
だが、褒められるのはうれしい。一度味わえば癖になる。もっともっと褒めてもらいたくなる。感想も評価の数も、多ければ多いほどうれしい。
感想や評価をもらえると自己肯定感がぐんと上がり、自分に自信が持てた。仕事や私生活では何のとりえもない自分にとって、二次創作で評価を得ることがもはや生き甲斐と言っても過言ではなくなっていた。

そんな私にとって、同CPで自分より上手い小説を書く人は恐ろしい敵に見えるのだ。ライバルなんて生易しいものじゃない。自分の大切な居場所を奪うかもしれない敵だ。しかも力の差は歴然としている。
前述もしたが私はそこまで小説が上手くはない。ただ、質より量だったりアイデア勝負な部分が受けることもあるのと、元々書き手が少ないジャンルでばかり書いているから、そこそこ評価してもらえるのだ。需要に対して供給が少ないから、受け入れてもらえている。あえてそういうジャンルを選んだわけではないが、今までハマったどのジャンルも偶々そうだった。
だがそこに明らかに自分よりレベルが上の書き手が現れたとき、読み手としての私は歓喜するが、同時に書き手の私は死ぬほど気分が落ちてしまう。

前にハマっていたジャンルの同CPにはプロ級の文章力を持つ素晴らしい書き手さんがいた。私は常にその人に力の差を見せつけられつつも、書きたいものを書いていた。だが、次第にその人の日常のツイートすら見るのも嫌になってしまった。その人が実はほぼ初心者だったと知り、気が狂いそうなほど嫉妬したことも理由のひとつだ。
そのジャンルでは同じ趣味を持つ人とほとんど交流が出来なかったし、感想をくれる人もほぼいなくて、私は孤独を感じていた。誰も味方がいないように思えた。
二次創作は趣味であって義務ではない。自分が楽しめるように、好きなように書けばよい。だが、作品を作り上げるにはそれ相応の時間や労力が要る。
そのジャンルでは、どんなに頑張って作品を仕上げても誰も褒めてはくれなかった。閲覧数は興味本位に覗いた人も含まれるし、ほんのわずかなブクマやいいねの数には人の心の温かみが感じられなかった。
見知らぬ誰かからのブクマやいいねは、もちろん無いよりはうれしい。だが熱量が感じられないそれは自分が費やした労力に対して物足りなく感じられた。
もっと褒められている実感がほしかった。それが得られないということは自分にはやはり実力が不足しているのだろう。やはり自分は下手なのだ。そう考えて落ち込む日々を繰り返していた。
同じCPの書き手同士仲良くコミュニケーションが取れないのも、孤独感の原因だったと思う。
腐女子にとって、実は逆CPや地雷CPよりも、同CPで解釈違いというのが一番厄介なのではないだろうか。本来なら同じ嗜好を持つ者同士なのに、考え方が違うせいで理解しあえない。それが仲間の少ない狭い界隈で起こるのだから、逃げ場すらない。
まあ、私は逃げたのだが。
精神的に疲弊しきっているときに、偶々タイミングよく別のジャンルにハマることができたのだ。
新しい沼もやはり狭かった。絵を描く人はそこそこ多いが小説は少なかった。自分が書き始める前に書いていた人達は更新が止まっていた。リアルタイムで書いている書き手がほぼ自分一人だった。
だが需要が少ないマイナーCPというわけじゃない。 需要はあるのに供給しているのが自分一人という状態になった。
作品をアップすると評価はどんどん増えていき、感想もたくさんもらえた。Twitterのフォロワーも増えた。とても楽しく幸せな日々だった。
自分より上の存在がいなかったからだ。
正直、心のどこかでは自分以外の誰かが書いた推しCPの小説を読みたいと思うこともあった。だがこれまでの経験上、作品を楽しむ気持ちより嫉妬心の方が勝ってしまうことはわかりきっていた。それに他人の描いた推しCPはイラストや漫画での供給で充分満足できていたので、小説の書き手は自分一人でいい、そんなふうに思ってしまっていた。

そんな自分の独壇場だった舞台に大型新人が現れてしまったのだ。
新人、といってもこのCPを書くには新参というだけで、他ジャンルでは活動歴が長いようだ。
その人の作品は瞬く間に称賛の的になった。
またしても私は心が折れてしまった。
書き残していたネタを書き終えたら(もしかしたらその前になるかもしれないが)、新たにハマれそうな何かを探そうと思う。
だって二次創作は趣味なのだから。自分が楽しくなければ、やる意味がない。



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